私たちはアジアで生まれた日系会社です。現地の人々の恩恵を受けながら成長してきた私たちは、その業務を通してその国の人々の役に立ち、その生活を豊かにできる価値を創造し続ける会社でありたいと願っています。
また、デジタルテクノロジーとクリエイティビティを持って挑戦し続け、その国の人々が私たちの会社を世界に誇れるような、革新的価値を生み出していきます。
デジタルマーケティングの領域で「アジアで最も信頼される日系会社」を目指し、アジア各国の社員一丸となって取り組んでいきます。
新卒入社した広告会社のマレーシアとシンガポール両国市場を担当する初代駐在員としての海外生活が始まったのが1991年2月のことでした。気象庁データによればその日の成田空港は氷点下、30度を超える気温差と熱風に迎えられたクアラルンプール国際空港で、新たな人生の舞台に立つ興奮を覚えました。
そして急激なアジアの成長がやってきます。
1995年にはマレーシアの国営プロバイダで初めてのインターネット接続サービスが始まります。まだ世の中にはWebサイト作成ソフトはありませんから、一時帰国時に秋葉原で購入したHTML教本を頼りに、夢中になって作ったマレーシア情報Webサイトが日経ダイヤモンド社の「世界の日本語ウェブサイト大賞」を受賞、一気にデジタルの世界にのめり込んでいきました。
しかし、アジアの経済成長も順風満帆ではありませんでした。
1997年にタイバーツの急落から始まったアジア通貨危機で市場は一気に冷え込みます。タイ、インドネシア、韓国はIMF管理下となり、日本市場でも長く続いた金融不安の遠因となりました。
それでもしばらくするとアジアの地熱は凍土を溶かし、また新たな成長の芽が伸びてきたのです。
アジアにおけるインターネットの普及、デジタルマーケティングの成長を予感して1999年に広告会社を退社、デジタルマーケティング事業を営む現地会社を起業設立します。
ところが、2000年代に入ってもアジアのデジタル化は一向に進みませんでした。日系企業の現地法人も新たな領域への挑戦には慎重で、設立したばかりの日系ITベンチャーではなかなか仕事がもらえません。外資企業であるため、地場の銀行からの融資も受けられず、業績の苦しい1年1年を積み重ねていきました。
それでも弊社が今日まで存続し、多くの企業顧客様からご信頼をいただけるようになったのは、アジアとデジタルの成長への信念があったからだと思います。
そしてアジアはまだまだこれからです。
「保護主義の高まりや急速に進む高齢化、生産性の伸びの鈍化に対して広がる懸念をよそに、アジア地域は力強い経済成長を達成し続ける」とIMFの最新の地域分析は予想しています。まさに、アジアのダイナミックな経済が今や世界成長のけん引役となっているのです。
アジアとデジタルの成長と共に邁進する弊社の今後にも是非ご期待ください。
社長兼CEO